先週(19日)の「鎌倉殿の13人」では、源頼朝の弟、範頼の悲しい最期に視聴者の悲鳴が上がりました。この時注目されたのが、頼朝の参謀である大江広元です。
範頼は、「頼朝討たれる」の知らせを聞いた比企能員に背中を押されたこともありますが、あくまで頼朝の遺志を継いで鎌倉を守るために京の朝廷と接触しようとしました。
しかしこの範頼の行動を問題視して、頼朝に伝えたのが広元でした。
その結果、範頼は伊豆の修善寺に幽閉され、さらに大姫の死は範頼の呪詛のせいだと思い込んだ頼朝の命令で、善児の手にかかって殺されてしまいました。
このため「範頼は悪くないのに」「なぜ広元は範頼を陥れたのか?」という声がネットで上がりました。
この大江広元という人は、鎌倉幕府の文官のトップで、実質上の幕府ナンバー2と言ってもいいでしょう。頼朝の死後も、北条政子、義時を支えて承久の変の後まで生き、78歳とも83歳とも言われる生涯を全うしました。
この時代を描いたドラマや小説は多いですが、「鎌倉殿の13人」は、あくまで裏方であった広元の存在を、最も大きく扱った作品と言えると思います。
私は、広元が範頼を陥れたというのではないと思います。
彼は、鎌倉の体制づくりのビジョンを明確に持って、生涯全くぶれなかったただ1人の人物だったと思います。
そのビジョンとは、1本の幹を太く育てるために、別に太くなりそうな枝が出てくると落とし、あくまで太い幹を残すというものです。
上総介広常も、義経も、それで落とされました。
範頼は、本来そうした「余計な枝」ではなかったのに、頼朝死すの一報を機に動きすぎたことで、広元の目には危険な存在になってしまったのでしょう。
広元はあくまで権力の裏方ですが、実際には鎌倉体制は彼の構想通りに進んだようです。
唯一の想定外は、三代将軍実朝が暗殺されたことだったと思いますが、そこでも政子・義時を中心とする北条氏の執権政治を確立するために尽力しました。
まさに鎌倉幕府150年の土台を作った最大の功労者だと思います。
ちなみに、「鎌倉殿の13人」で広元を演じているのは栗原英雄さん。
三谷幸喜さん演出のNHK大河ドラマ「真田丸」では、主人公真田信繁の叔父・信尹という、やはり思慮深い人物を演じていました。